新メンバー

姉が、テレビの放送を見てくれたようで電話をかけてきてくれた

喜んでくれていた

 

 

 

いつも頑張って!と応援してくれている

家族が喜んでくれるのは本当に嬉しいこと

 

 

 

ただ、うちの母親や姉は

すこし抜けているというか、天然ぼけみたいなのをかます癖があるようで、

 

 

 

「でも、あまのくん、いつもあんまり喋らないね〜?あまのくんは普段おとなしいの?」と姉。

 

 

あまのって誰?と聞くと

 

 

「あ、ごめん!間違えた!

アマくんだった!!アマくんはなんでいっつも喋らないの?」と姉

 

 

 

アマくん…?

アマくんて誰のこと?マネージャーにもあまのとかアマって人はいないよ!と言うと 

 

 

「あれは アマって読まないのかな? 天って書いて…」と姉… 

 

 

たしかに、読みづらい漢字なんですが 

 

石原 天 (いしはら たかし)

最初から 天って書いて…と言ってくれればすぐわかったのに!

でも、たしかに、

 

天 を初見で

(たかし)と読める人はいないでしょうね

 

 

おかげで

謎の新メンバー、「天野くん」が加入してしまうところでした

 

 

ウドたかゆきより

 

 

 

インタビューをしてくれる人って凄いですよね 

話をする人より 話を聞く人の方がなんとなく偉い気がする 

 

自分で気づかなかった事も話しながら気づいたり、新しい発見がある!

 

これは、ふと思ったんだけど、

自分が聞き手に回ってみて、インタビューしてみたいなーという気持ちがある!

 

 

面接とか、採用する側の立場ではした事がない

 

一度してみたい

 

ふん、ふん、話を聞いていると

じゃああなたは主人公役にします!とか、

あなたはライバル役ね とか、そういう面接してみたい

 

SNSとか、見てると 

みんな、色んな悩みがあるし、みんな闘っているんだなと思う 

 

なんてゆうか、一日生きて

なんかわかんないけどちゃんと明日にいけてるのって本当に偉いことだと思うというか

 

大人になってくると誰も褒めてくれなくなるから

小さい時はライターの火すらつけられなかったけど いつのまにかできるようになってた

今、大人になったおれが

ライターの火をつけている、だれか違う大人に

 

 

 

「やるじゃん、ライターの火、つけられるんだね」

 

とか言ったら最悪喧嘩になると思うし、

少なくとも、ヤバイやつだと思われてしまいますよね

 

 

 

 

なんてゆうか365日凄いやつだったり、良いやつだったりしなくても 

そのうち一日でいいから

凄いやつでいられたり、良いやつでいられたり、かっこいいやつでいられたら

 

けっこう生きてるの捨てたもんじゃない気がするから

負けたり、悩んだり、痛みの中でやっていけたらいいなと思うんだけど

 

いや、なんて言いたいかっていうと、みんな偉いと思うし、賢いし、凄い良いと思うっていう事 みんな頑張ってるわ 

 

だれかもっと褒めてやれと思うから 

おれが褒めさせてもらう、偉い!

 

トゥルーグリット

寒い季節になると、なんでもセンチメンタルに感じる 

 

トゥルーグリット

をまたいつか見ようと思う

この映画もまた、名前を呼ぶだけで涙が出そうなほど美しい映画だと思う 

 

理由はわからない 

 

ただ、この人たちの映画は 

自分にとって、何故か

とっても見やすい 

映画を人に見せる リズム感とか

どこから話を始めるかとか

どこでやめるか

次に何を写すか

とかが自分にとって 相性がいいというか、見やすいんだと思う

 

だから、なぜか繰り返し繰り返し見たくなってしまうものが多い

それが、いつのまにか自分の思い出となって

また、懐かしくなって特別な意味を持つんだろうと思う

 

 

 

一番回数を多く見たのが、ノーカントリーです

 

好きすぎて、一体、

何がこんなにいいのか、

その理由を知りたいと思うけど、全然わからない

特別な事はないと思うんだけど

もしかしたら、画面の色とかなのかなあ 

と思ったりするけど、よくわかりません

 

大袈裟でなく、多分50回以上は見てる気がする

トゥルーグリットと、ミラーズクロッシングは10回ずつも見ていないと思うけど、

まだまだこれから何回も見ると思う 

 

 

 

トゥルーグリット、ミラーズクロッシング

本当に大好きだ

 

ノーカントリーは好きなのか、よくわからなくなるくらい見て、何も感じなくなった

何も感じなくなったことによってどんな時でも、見やすく、余計なことを考えなくて済むというか、 凄く落ち着くというか、

 

何も考えずに、中空を見ているような 

 

大げさに言えば 我を忘れてしまえる映画というか…

もしかして、この映画の狙いは

そこにあるんじゃないかと、思い始めてるくらい 

深読みをしています

 

ジム ジャームッシュの 

リミッツ オブ コントロールも同じような感覚で好き

 

ジム ジャームッシュで一番好きなのは 

ゴーストドッグです

 

アンのゆりかごを読んで

今はアンの青春を読んでいる最中なのですが、 

 

先日までは

アンのゆりかご 村岡花子の生涯 

 

を読んでいました 

お孫さんの村岡恵理氏が描いた評伝で、素晴らしい、本当に素晴らしい本だった 

我々が遠い昔のように感じる戦前の時代

(第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦である)明治26年 1893年から話は始まる 

 

自分はこの時代は遠い昔で 

教科書で見るだけの、白黒の世界のように感じていたんですが、 

この本を読むに事によって まるで自分がその時代を生きてきたような、

不思議な感覚に陥りました 

 

 

やはり、評伝は 

愛情を持って書くのが一番素晴らしいのだろうと思います 

村岡恵理氏は村岡花子氏の実のお孫さんですから 

 

やはり自分のルーツを探るような気持ちなのでしょうか

真摯に、村岡花子氏の足跡を辿っているし、丁寧に花子氏の気持ちに寄り添っているのが伝わってきて素晴らしかったです

 

この時代を知る非常に貴重な資料でもあるのですが、

資料としての中立な立場を守りながらも

同時に

花子が現実の人物のように生きて躍動する

はつらつとした物語のようでもあった

 

なんというか、司馬遷が記述した史記の如く

史上の人物の霊が書き手に乗り移って記述しているかのような

「想像的視覚を持った者でなければとうてい不能な記述」(中島 敦)

という感じでした

 

 

「高度経済成長期に生まれた私が 当然のように享受してきた 環境、制度、権利、あるいは、手を伸ばせば届くところにあったたくさんの良書が、母から祖母の世代に遡り、さらにもうひとつ遡った世代からの 

切実な祈りと 不屈の努力によって得られたものだと知りました」と恵理氏はあとがきで述べているが 

 

この文章こそ

この本を読んで感じる一番深い感動をズバリ言い表わしている!と思いました

この文章にはうなりました 

不屈の努力…かっこいい 

2度の世界大戦をくぐり抜けた命が運んだという感じがする

ロックンロールが生まれる前と言ってもいい 

ただ、これほどロックンロール!という感じがすることがほかにあろうか

素晴らしい、最高!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りながらも梢のもみの木が

アンの青春という

赤毛のアンの続編を読んでいます 

 

アニメの赤毛のアンで 

アンが馬鹿な失敗をしなくなるのが寂しかった自分には 

 

アンがまた、 たいへんな失敗をして

隣人ともめてドタバタしたり、仲直りしたりしているのが、嬉しく、ほっとする気持ちになった 

アンは賢くなったけど、やっぱりそういう失敗をするところをなくしてないのが、なんか嬉しいというか 

その時は死にたくなるほど恥ずかしい失敗、とかも 

時間がたつと、笑えたりするし

(自分も小学5年か、6年の時に 朝礼で友達とふざけて笑いすぎて 勢いあまり放屁をした事がある その日は真剣に 転校しなければと思った)

 

げんに赤毛のアンは、アンが色んなドタバタを起こしてくれるから、見てる方がゲラゲラと笑えもする楽しい作品になっているんだし

 

 

成長したり、良くなることが

寂しいと思う時もある

 

でも、本当にアンは立派だと思う

それは本当に本当

 

あと、いつも思うけど 

サリンジャーモンゴメリが結婚したら良かったのにと、無駄なことをいつも思う 

 

関係ないけど…

あと、いつも、 

いや、やっぱりそんなのよくないか とか、いや、意外と合わないかとか

第一、本人たちの気持ちがよ!とか思う

それにお互いの生きていた時代や、土地のことを念頭にいれていない考えだし

 

これは本当に雑談で、びっくりしたんだけど、サリンジャーの好きだった人は、チャップリンと結婚したんだけど 

だからそんな事をふと思うのかもしれない

 

二人とも好きなアーティストだから、それを知った時は本当にびっくりしたし、同じ時代の感じがしないから、違和感があった 

なんだか、本を書いている人の方が古い時代を生きていたように見える

 

サリンジャーが、その事について少し触れている短編があるんだけど 

それを読んだから、ふとそんな事を思うんだと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

布石

前回の日記の投稿は布石でして 

ここでようやく本音が言えるというか 

 

要するに 

思っている事、感じていることを 

言うのが遅くて…

 

 

今回のツアーの対バンシリーズ 

個人的にはフラッドがhere is my freedomに呼んでくれた 小倉 大分のライブも

自分の中では 一つの同じツアーの中のような意識をもってのぞみました

 

 

自分がツアーを始める前に佐々木くんの 

姿を見れて本当に良かったと思う

 

やはり彼の考え方や、仕事量に 

自分の至らなさ、努力の足りなさを感じた 

劣等感とかのレベルの話ではなく

愚痴や疲れとかそういったものを口にする資格が自分には無い程、

彼は音楽を愛してるし、音楽に対して距離が近い人であった 

音楽に対して距離が近いのは、それほどずっと努力をしてきたからだと思う

 

 

New Tribeが良い曲だと思ってたけど

小倉、大分から帰ってきて 

まだ声が枯れてて まだ仕事してるんだけど

まあ、身体は疲れてて 働いてたんだけど 

 

仕事しながら、聴いてたら

また違った風に聴こえました

自分の「今」の状況とリンクして むちゃくちゃ泣きました 

良い曲で

なんてゆうかな 

 

俺も、身体の限界を感じたり 皆に聴かせられるコンディションでいたいって思って 不安になる時もあるけど、

 

そういう限界みたいなの超えてきた人の歌だなあ、と

 

良いライブしたいって思って

働いてる時、こんな事してる場合じゃない!って思って、くそ野郎みたいな自分になっちゃう時が俺にはあって

 

だけど、一回そんな自分になった事があったとしても

明日から素晴らしい人間になろうとしちゃ

なんでダメなんだ?ってこの歌を聴きながら思えたんですよね

 

その時ちょうど、コンクリートの上にいて、 

喉の細胞が再生しようとしている時だったので 

素晴らしい人間になろうとすんの諦めたくないと思った

普通の人間が限界を超えようとするのが、良い、と思った

 

本当に良い歌だと思った 

そういった事がありました